初音ミクに馴染めない自分がいる。
VOCALOIDというシステムに馴染めないわけでは決してない。
生成されたコンテンツに馴染めないのだ。
時代を捉えるちからが衰えていると言うことだろうか。
初音ミクをはじめとしたVOCALOIDシリーズは、音楽コンテンツ制作のハードルを急激に下げたと言っても良いだろう。それまで自主制作した音楽にボーカルを乗せるという行為は、オケにストリングスを入れるのと同じくらい難しいことだった。身近にボーカリストがいるならまだしも、ほとんどのDTMerはインストゥルメンタルに走るしか無かった。或いは、あたためたその曲が、いつか本当の歌姫にうたわれる。そんなゴールを夢見て楽曲を作ったものである。
そして、初音ミクが登場した。人々はそのシステムの完成度に驚いた。モチベーションが急激に上昇した。発表の場も十分にある。挙ってアップロードする人々。それまでのフラストレーションを一気に解消するかのように。氾濫する音楽。淘汰されるもの。支持されるもの。美しいメロディーライン。優れた技術力。跳ね上がる再生数。
ついに初音ミクは“歌姫”となる。それは雲を飛び越し、現実世界のCDにまで手を伸ばした。
美しいメロディーがそこにあった。
感動的なオケが。
ヒトの声は必要ないのか。
VOCALOIDの声が歌声として評価されていることに私は馴染めない。
VOCALOIDがうたう楽曲が商品として評価されることに。
サンプラーとしては評価できる。
けれども、そこをゴールとしているこの状況は間違っている。
VOCALOIDはあくまで通過点だったはずである。
目標を見失ったクリエイションに活路はあるのか。
ほんとうに、音楽として、VOCALOIDに心を動かされる人々はいるのだろうか。
初音ミクで涙を流せることが、時代の流れというならば、わたしはもっと努力しよう。
いまのところ、わたしにとって初音ミクはほんとうの歌姫とはなり得ないから。
かりそめの歌姫。
今はまだ、その声に傾ける耳を、残念ながら持ち合わせていないから。
Malraux_jp